10年前にこれを読んだときは「なんてひどい主人だ」「なんてひどいクソジジイだ!」と思ったものだったけど、今読み返してみて、もしも別の(=作中で火神くんに語らせたような)解釈をすることができたら、ちょっとは救われるんじゃないのかなあとふと思った
つまり、主人は
『文鳥が死んでしまっても悲しみも感じなかった』
わけではなく、
『文鳥が死んでしまったことに驚き、ぼうぜんとし、自分では制御しきれない悲しみの大きさに、どうすればよいのかわからず動揺してしまった』
……のではないかなあ、と。
だから、黒子くんには
『過去の自分をそんなに責めなくてもいいんだよ』
『誰にだって、「どうしようもできない」運命っていうのがあるんだよ』
ってそう言ってあげたい……というか、火神くんの口からそう言ってあげてもらいたかった
大丈夫だよ過去は消せないしつらい思い出だったかもしれないけど、それは誰のせいでもなかったんだよお前が悪かったわけじゃないんだよ心配しなくてもこれからきっと幸せにしてあげるよ
……って。
物語というのは、淋しい人が読んだら淋しいものになるし、冷たい人が読んだら冷たいものになる。けれど優しい人が読んだら、その物語のなかに必ず『優しい何か』を見つけてくれるはず。だから心優しい火神くんならば、どんなに淋しく先の見えないような物語でも、最後にはきっと優しい結末に変えてくれるのだろうと思うし、黒子くんと作る未来を、きっと温かくやさしいものにしてくれるだろう、と……そんなふうに信じていたい
やさしくて強い『光』に出会えて、黒子くんは本当に本当に幸せだよ……
そして火神くんは黒子くんの手をこれからもずっと離さないであげてください
あと、やっぱ漱石さんはとにかく【日本語の言葉えらび】と【情景・心理描写】がため息がでるほど美しい……アカン大好きI love you……
漱石さんと言えば、偏屈でガンコ、いつも胃通に悩まされているカタブツなおじさん……というイメージが先行してしまっているような気がするのだけど、多分ぜんぜんそうじゃない
このお話の中で、白くちいさな文鳥を「淡雪の精のようだ」と表現していたり、文鳥の外見を「細長い薄紅(うすくれない)の端に真珠を削ったような爪が……」と美しく表現していたり、「文鳥は千代千代と鳴くらしいと知人に聞いた。知人はそれが気に入ったらしく千代千代と繰り返している。あいつは昔、千代という女に惚れていたんじゃないだろうか」とつい微笑みたくなるような想像力を羽ばたかせる素敵なおじさまが、偏屈でガンコなわけがない
たいへん繊細な感性をもった心優しい男性だったにちがいないよ でなければ、こんなにも美しい物語を作れるわけがない
ふだん口にしている言葉なんてとてもいい加減で不確かなものだから、それだけでそのひとの人格を判断するなんて出来っこない。だけど、その人の『生み出したもの』『創作したもの』の中には、『ことばでは表現しきれないその人自身』が隠れているような気がして、だから私はそれを信じることにしている
この『文鳥』という物語が好きだから、私は夏目漱石という人が好き
会ったことも話したこともないけれど、大好き
そんな感じ
おわり! 長えよ!